思わぬ旅。

ひとり暮らしだった父が急に亡くなった。

電話で最後に話したのは、1月の半ば。
最後に会ったのは、2000年の夏だった。

とてもめまぐるしい一週間だった。

もっと会いに行けばよかった、
もっといろんな話をすればよかった、
電話に出られなかった時かけ直さなかったこともあった…、
と、いろいろ後悔したけど、
もう一度時間を戻しても、きっと同じだったのだろうと思う。

最後の最後まで、父へのわだかまりは取れなかった。
嫌いではなかったけど、大好きではなかったし、
気軽に“近くまで行くから遊びに行く”なんてできなかった。

いろいろな後悔よりも、
けっきょく亡くなるまで許せなかった自分、
心の壁を越えるアクションが起こせなかった自分が、
とても情けなくて悲しかった。


父の友人に、日頃の生活ぶりやエピソードを聞いた。
いつも買い物していた店、
ゴハンを食べていた店、
タバコを買っていた自販機、
いろいろ教えてもらった。
街の喧騒の中のそれらを見ていると、
父は父で、毎日楽しく暮らしていたんだと感じた。
父の生活の気配を感じることがとてもうれしかった。

父の部屋には、
日記とか雑記とか書き残したものがたくさんあった。
私たちのことも書いてあった。
書道が好きで、そんな作品?もたくさんあった。
墨をすって、筆を持って紙に向かっているときが、
きっと心落ち着く時間だったんだろう。

父の字は、歳をとってもちっとも変わらず、
昔のままていねいで美しかった。

幼稚園に上がる前、カレンダーの裏に、
「あいうえおかきくけこ…」と、50音を筆で書いて、
壁に貼ってくれていたことを思い出した。


フリマで買ったらしいカメラ。
毎日使っていたと見られるコーヒーミル。
文章を書くのが好きなこと。

母似の私だけど、
父に似ているところもいっぱいあったんだなあ。
撮った写真を見せてあげたり、
スタバにつれてってあげたら、
きっと喜んでくれただろうし、楽しかっただろうなあ、
と思うと、悲しいやら、
大馬鹿野郎な自分がくやしいやら、
泣けてきてしかたなかった。

一週間も、妹とひとときも離れずにすごすなんて、
子どもの頃以来だったと思う。
悲しくいそがしくすごした一週間、ずっと忘れないだろう。
疲れきって入った喫茶店がすごく居心地がよくて、
おかわりまで頼んで長居して、
“ああ、おいしい…”と言い合ったとき、
妹がいて本当によかったと思った。

妹は、父との交流が私よりも多かったので、
そのときのいろいろな話を、
荷物を整理しながらきかせてもらったり、
持ち物を見て、泣いたり笑ったり、
最近のそれぞれの状況を報告したり。

父の暮らしていた部屋で、
ふたりがべらべらしゃべって、
買ってきたゴハンを食べたり、
ふとんを敷いて寝たりしてることを、
“おとーさんは喜んでくれてるだろう”
と、またふたりして泣く。
ふたりでそろって遊びに来たこともなかった。
ああ親不孝…。


物言えぬ姿ではあるけど、
16年ぶりに、家に父がやってきたのだった。

白い布につつまれたお骨を見ながら、
小さい私をかわいがってくれたのも
ガラスを割って暴れていたのも
ひとりで暮らしていたのも
中身はこの骨だったんだ…。などとしみじみ思った。


2月の短期の仕事、断ることになってしまったけど、
父が休みをくれたのかもしれない。

今でも、ぶるるる…と揺れるピッチを開くと、
画面に「父」て表示されてて、
“もしもし”て出たら、
“ぅぉーい。カノンかー。元気にしてるか?”
て話しかけられそうな気がする。

おとうさん、おつかれさま。ありがとう。ごめん。
元気でがんばるから、安心してほしい。


***今日の一曲
     やさしく歌って  〜ロバータフラック

   小2の時、父がよくこのレコードを聴いていた。
   子ども心に、なんていい曲なんだろうと思った。