街ですれ違う人々は

子どもの頃も大人になってからも、
夢(遠足や旅行やデート)の世界から家に帰ると、
ホッとするような、腹立たしいような気持ちが心に渦巻いた。
“おかえり”と笑顔で迎えてくれる母がうれしくもあり、
一気に現実を呼び戻す、家の中の雑多な風景に
日常生活へ戻るスイッチを見るようで、空しさもあり…。

自分のベースは、つまらないとも言える、
平凡な日常生活であるのだけど、
それだけに、家の外はいつもまぶしかったあの頃。

“それぞれの日常生活を持つ人たちが、
 同じ時間に同じ場所に集まって来て、
 同じものを共有して、またそれぞれの生活に戻って行く”

と言う光景に、今もすごく興味があるというか
心惹かれると言うか、それについて、
じっくりと考えることが日常生活のエネルギーになってゆく。

一番強くかみしめるのは、ライブ。
チケットを手に入れた日から、
仕事をしたり、学校へ行ったり、デートしたり、
失恋したり、買い物したり、笑ったり、反省したり、
という、それぞれの日々を過ごしながら、
ライブの日へのカウントダウンは始まる。

そして当日、それぞれの背景を抱えながら、
チケットを持って会場にやってくるたくさんの人たち。

服装も年齢も性格もそれぞればらばらで、
接点はなにもないように見えても、
この日のライブを待っていたという共通点。

そんなたくさんの人が、同じ空間と熱気と感動を
共有している瞬間は、まちがいなく魂が輝いている。
アンコールで、客電が全開になり、ひとつになる観客の歌声。
同じように歌い、踊っているようでも、
笑顔あり、涙顔あり、決して個性がないわけではない。

そんな夢の時間は、すぐに終わる。
ロビーへの重い扉が開くと、先ほどの一体感がウソみたいに
みんな家路につく。
ごった返していた会場から、どんどん人がいなくなるのを
見ていると、すごく寂しくなる。
もうちょっと、この非現実に浸っていたいような…。

また、それぞれの毎日に帰っていく…。
寂しいと思いながらも、私は考える。

今度、またライブに来る時は、どんな自分でいるのだろう。
笑顔ですごしているだろうか。
久しぶりに会う友達をいとおしく思えるような
心の余裕をもっているだろうか。
その時に、胸を張って会場に来れるような毎日をすごそう。

…と思いながら歩いている今、すれ違った知らない人は、
同じライブ会場にいた人かもしれない。
あのライブでもらった、輝いた石のカケラを胸に抱いて
日常生活をがんばる人たちが、
この街に散りばめられていると思うと、またうれしい。
寂しいだけじゃないんだ。
悲しいことがあったら、客電全開の中歌った
あの曲を聴こう。

と考えていると、見えるものすべてがいとおしくなる。
日常生活の楽しさを思い出す。

ライブに行きたい。この秋も。

***今日のビートルズ
     Dig A Pony

地震!!!こわかった。
 夜の余震は不気味でますますこわい…。
●今日、今年初のキンモクセイの香りがした。
 会社の近くにて。うれしい。