本心はもっと深いのかも

昨日は、ナント久々に徹夜してしまった。
5時半まで。29時半ともいう。
なんかネットしてたら、目が冴えて冴えて。
ちっとも眠くならずに、らくーに朝を迎えてしまった。

ラジオ深夜便の3時台では、昭和47年のヒット曲を
特集していた。
追憶(ジュリー)、私は泣いています(りりィ)などなど。
まだ幼かったけど、聞き覚えのある曲がたくさん流れた。

明るくなってきた外を見ながら、
このまま寝ないで広島にでも行こうかと考えた。
ダーリンと「気まずさ真っ最中」なので(また?)
夜勤から帰ってくる前に、出かけてしまおうかと。
たぶん8時くらいに帰ってくるだろうから、
7時ごろ出て…と計画を練っていた5時半。

がちゃ。

とカギを開ける音がして、意外にもダーリンが早い帰宅。
思わず寝たふり。

をしたのがいけなかった。
目が覚めたら11時すぎていた…。

自転車で買い物へ。
ついでに、マックでお茶。
昨日買った「そして私はひとりになった」(山本文緒)を読む。
ケンカした昨日、あてもなく自転車で出かけ、
遠くの本屋へ行った。
気持ちがしゅんとすると、本に助けを求めたくなる。
住職さんの書いた本に目が行ったりする。
結局買ったのは、「そして私は…」と「出産てやつは…」(田島みるく
と、“心がスコーンと晴れる本”という帯がついていた
「なれたらいいなっ」(宝彩有菜)の3冊。

今までの人生、人と争ったことがあまりなかった。
それだけ深くかかわってこなかったということか。今思えば。
ましてや、両親の仲が悪かったせいで(“せい”にしちゃいけないか…)
いつも大人の顔色を伺っていた。
自己主張せずまわりに合わせるか、それがいやなら、
ひとりで行動した。
結婚というのは、そういうわけにはいかない。
それじゃ寂しすぎるしね。
どんどんあらわになるお互いのイヤな部分。
意見が合わないこともよくある。

そんな時、私としてはとことん話し合って、
お互い歩み寄れる場所を見つけたいのだけど、
ダーリンは口ベタなので、私があんまりどんどん意見を言うと、
何も言えなくなるというか、ひいてしまうらしい。
“言いたいことがあるなら言って”
といわれると、男は何も言えなくなる。と本で読んだことがあるけど、
やっぱりそうなのかな。
でも黙られると、こっちが悪いことしてるような気になってくる。

よく考えてみると、私にも高圧的なところがある。
しかも無言の圧力というか押しつけというか。
“意見を言って”とか“どちらでもいいよ”と言いながら、
自分の都合のいい方にいつのまにか持ってってるという…。
悪気はないんだけど、これも大人の顔色を見つづけた
後遺症のような気がしてしまう。
母が出かけるたびに
「このまま出て行くんじゃないか」って
すごくこわかったことが、いつも心の隅にある。
ダーリンがひとりで出かけると言うとき、
全然構わないし、行動を疑っているわけでもないのに、
心のどこかで「行かないで」と、腕を引っ張っているような。

ダーリンは、私に支配されている(というとオオゲサだけど)
ような気がして、窮屈な思いをしているような気がする。
こんないつまでも子どものような私が、
そばにいてもいいのだろうか。

しばらくかくれていた
「自分の存在が、いろんな人の人生をジャマしてるのでは」
という思いが、ちらりと姿を現してくる。

もしかしてACなのかな、とか、
子どもの頃に戻って、思いっきり大人に甘えたい、
とか思うたびに、
そんなの甘えてるのかなとも思えて、
やり場のない思いがうずまいてしまう。
もっともっとつらい人がたくさんいるのに。

子ども時代の恨み?から、解放されたい。忘れたい。
それができるのは、けっきょく自分なんだけどさ。

あー、読み返すとイヤになる。
今まで、何度も同じようなことを書いては消してたけど、
一度思いきって公開してもらわないと、
いつまでもスッキリしない気がするので、
今日はちょっと勇気出して、このまま送信します。