誰も怒り出したりしない。

「チエちゃんと私」(よしもとばなな)を読み返す。
“安定したものをたたきこわしたくなる気持ち”
というところを読んで、はっとした。
私もずっとそうだったんだなと気がついた。
今まで、わかってたようでわかっていなかった。

父が怒り出さないように細心の注意を払っていた
子どもの頃の家族団らんの時間は、
団らんのふりをしているだけで全然楽しくなかった。
その場の雰囲気を子どもなりに保つためには、
楽しいふりをすると同時に、
“父が暴れ出したらどのように振る舞うか”ってことも、
常に頭の中でシミュレーションしてなきゃいけなかった。
ただの昔の苦い思い出だと思っていたけど、
その気分を未だに引きずっているのだと気がついた。

最近ではあまりなくなったけど、
母や妹と過ごしていると無性に落ちつかず、
イライラして逃げ出したくなっていたことも、
結婚していた頃、家でごはんを食べていても
今思えば全然くつろいでいなかったことも、
「安定した団らん」は、吹けば飛ぶよな砂絵みたいなもんで、
「団らんのふり」の空しさの次には修羅場が待っている、
ということが心にすりこまれていたからだった。

はっきりと気がついて、ものすごくほっとした。
わかったから、たぶんもう大丈夫だ。
こんな歳になるまで引きずるなんて、
子どもの頃の心の習慣とはおそろしいものだな。
でも、今気がつけたからよかった。
くつろいでる時間に急に暴れ出す人なんて、
普通はそんなに居ないことは知っていたはずなのに。
大人になってよかった。

ほっとしたので、夕方から出かけてみた。
近所の喫茶店でサンドウィッチを食べて、
公園を散歩して食糧を買った。

***今日の一曲
     やさしく歌って  〜ロバータフラック